富山を代表する河川『神通川』の歴史的な転換点【馳越線工事】は富山市民の快適な暮らしの礎だった

富山を代表する河川『神通川』の歴史的な転換点【馳越線工事】は富山市民の快適な暮らしの礎だった

こんにちは!ハリボーです。

先日発表された「全国住みよさランキング2020」では、上位40位までに富山県から3市が選出されました!

魚津市、滑川市、そして富山市です。

毎年のように富山県からは複数の市町村が上位ランクに食い込みますが、本当に富山は暮らしやすい場所だと思います。

特に地震や台風などの自然災害が少なくて安心感がありますね。

しかし、富山県が昔からずっと安全だったかといえば、決してそんなことはありません。

河川の氾濫・洪水といった災害を経て、長い歴史の中で積み重ねられた砂防工事の上に今日の安全は成り立っているのです。

今回はそんな富山県の砂防工事の中でも、川の形を大きく変えてしまうという特別大掛かりな「馳越線工事」についてまとめてみました。

富山を代表する暴れ川『神通川』の歴史を紐解く

飛騨山脈を水源とし、富山市内中心部を通過して富山湾へと注ぐ神通川。

「神通川」の名前は4大公害の「イタイイタイ病」に伴って知った方も多いことでしょう。

古くから富山県民の暮らしを支え続けてきた雄大な一級河川は、かつては富山城北部で大きく蛇行しており、頻繁に氾濫が発生していました。

上流・中流は非常に急流で、水源に多雨地帯があることも水害が発生しやすい要因でした。

大正3年の大洪水をきっかけに、街中を避けて川を直線化させる「馳越線工事」がはじまります。

富山の地形を変えた『馳越線工事』とは

現在の神通川と工事前の神通川を地図で比較してみます。

こちらが2020年現在の神通川です。

神通川は街の西側を通過しており、街中には桜が綺麗な「松川」、そして「いたち川」が流れています。

以下が工事前(~1900)の概略図です。

旧神通川は松川・いたち川が流れていた場所に大きく蛇行して流れていました。

直線化工事がおこなわれると、旧神通川は大部分が埋め立てられました。

元々は神通川が流れていた跡地に現在の松川・いたち川が形成されたのです。

松川といえば4月初めに絶景を眺めることができる景勝地。

実は人工的に川幅が調整された河川でした。

馳越線は幅2メートルの分水路からはじまり、水の勢いを利用して徐々に拡張して現在の形まで広がりました。

富山大橋、神通大橋、富山北大橋は人工的に作られた河川の上に架かっているのです。

富山市街地と岩瀬浜を結ぶ『富岩運河』の成り立ち

神通川の埋め立てに用いられた大量の土砂はどこから持ってきたのでしょうか。

実はこの歴史は富山を代表する観光地「環水公園」の成り立ちにもつながります。

富山市の代表的観光エリア『環水公園』

富山駅の北側に位置する環水公園の正式名称は「富岩運河環水公園」、通称「カナルパーク」とも呼ばれます。

「カナル」は運河を直訳した英語の「canal」のことです。

世界一綺麗なスターバックスが有名であり、公園の中心には大きな運河が流れています。

この「富岩運河」は、富山市内中心部と岩瀬をつなぐ運河のことです。

富山城付近と富山湾の資材の運搬を主目的として整備され、削り取られた大量の土砂が旧神通川の埋め立てに用いられました。

水運の発達によって富山の工業は発展し、1997年に環水公園が完成しました。

重要文化財の水門『中島閘門』

河口から3キロほどの地点に「中島閘門」という重要文化財があります。

この地点では上流と下流で約2.5メートルの高低差がありますが、閘門を利用することで船が通過できる仕組みです。

水運として活用されてきた富岩運河は現在、観光資源としても大活躍しています。

富岩運河を船で遊覧する富岩水上ラインは、環水公園、中島閘門といった見どころをじっくり回ることができる人気のクルーズです。

今回は神通川の歴史についてまとめてみました。

私たちが富山で快適に暮らせるのは、100年がかりの大工事のおかげだったのです。

富山の歴史をもっと学びたい方は富山市民俗村を調査した記事もおすすめです。

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