なぜ進行方向が変わる?富山地方鉄道【上市駅】スイッチバックの歴史を調べてみた

なぜ進行方向が変わる?富山地方鉄道【上市駅】スイッチバックの歴史を調べてみた

こんにちは!鉄道大好きハリボーです。

富山県は新幹線、路面電車、私鉄と交通手段が充実している都市です。

なんと全ての市町村に鉄道が走っているという鉄道網の豊かさ。

そんな富山を支える鉄道の中でも、多くの市民の足を支える富山地方鉄道の鉄道トリビアをご紹介します。

富山地方鉄道・上市駅

電鉄富山駅から宇奈月温泉駅を結ぶ富山地方鉄道本線。

上市町の中心駅「上市駅」は、特急を含め全列車が停車する主要駅です。

電鉄富山方面からの普通列車は多数が上市駅を終着とします。

上市駅は富山地方鉄道におけるターミナル駅の役割を果たします。

上市駅のスイッチバックとは

上市駅は全列車が停車し、更に全列車の進行方向が切り替わります。

進行方向の切り替わりを「スイッチバック」と呼びます。

駅の構造は2面3線の頭端式ホームです。

写真のように行き止まりになっています。

全列車が停車するというより、そもそも列車が通過すること自体が構造上不可能になっています。

電鉄富山方面からの列車と宇奈月温泉方面からの列車は必ずここで一旦停車し、進行方向を変えて発車(=スイッチバック)します。

上市駅に停車すると運転手は一旦降りて、ホームを歩いて反対側の運転席に移動します。

このため、停車時間が他の駅よりやや長くなります。

現上市駅誕生までのの歴史

そんな構造の上市駅ですが、どうして進行方向が変わるのでしょうか。

運転手の移動や座席の回転など、スイッチバックにかかる手間は到着までの所要時間を長くしてしまいます。

スイッチバックの目的

一般にスイッチバックが必要なケースとしては、箱根登山鉄道のように山間部で急坂を登るための手段や、米原駅での特急「しらさぎ」のようにターミナル駅で別の路線(この場合は北陸線と東海道線)に跨って運行するケースなどが挙げられます。

しかし、上市駅は上記のパターンには該当しません。

その秘密は上市駅の歴史に隠されています。

旧上市駅と現上市駅は違う場所だった

現在の富山地方鉄道上市駅は、1931年の富山電気鉄道時代に「上市口」として開業していた場所です。

当時は市街地方向500mの場所に「上市駅」が存在しました。

1943年の戦時統合で富山地方鉄道が誕生し、上市口~上市間が廃線となり上市駅も廃止。

上市口駅は上市駅と改称され、現在の姿になりました。

現在の上市駅は、電鉄富山方面から来る列車と宇奈月温泉方面から来る列車が終点の旧上市駅へ向かう「途中駅」だったのです。

2つの路線が合流する場所という意味では、現在の米原駅に近い構造でした。

京都方面が廃線になって全列車がスイッチバックせざるを得なくなった米原駅、というイメージです。

おまけ・上市駅あれこれ

上市は映画の舞台としても有名な場所です。

代表的なものでは「Railways」や、

「おおかみこどもの雨と雪」など。

モデルとなった「おおかみこどもの花の家」も有名な観光地です。

聖地巡礼で訪れる方も多そうです。

そして私のお気に入りスポットは「上市駅 北口」。

なぜか?

廃墟大好きだからです。

潰れたゲーセンと切れかけの照明が醸し出す雰囲気が素晴らしい。

わかる人にはわかってほしいこの魅力。

珍スポットが好きな人は伝わると思います。

それではこの辺りで。

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