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こんにちは!ハリボーです。
岐阜県には世界的にも名高い城郭が多く存在します。
織田信長の建てた岐阜城(当時は稲葉山城)や、天空の城・苗木城など。
大垣市にある墨俣一夜城も、神の所業によって歴史に刻まれた城のひとつです。
木下藤吉郎と名乗っていた若き日の豊臣秀吉が、わずか1日にして築城した伝説の城です。
墨俣一夜城とは
岐阜市と大垣市の狭間に位置する墨俣一夜城。
復興天守は5階建てで、遠くから見ても圧倒的な存在感を誇ります。
手前の犀川にかかる橋は「太閤出世橋」と呼ばれます。
ひょうたんがあしらわれるなど、要所要所に秀吉にまつわる品々が揃っています。
アクセス
墨俣一夜城は岐阜県大垣市墨俣にあります。
岐阜駅からは車で約20分。
関駅からは約45分です。
営業時間
毎週月曜日休館。
9:00~17:00開館です。
※2022年12月現在の情報です。
入館料
資料館のある天守閣へ入るには入館料が必要です。
大人200円でした。
墨俣一夜城の見どころ
1566年、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が建設したとされる墨俣一夜城。
織田信長は、この城を拠点に美濃(岐阜)を制覇。
藤吉郎は豊臣秀吉と名前を変え、その後は出世街道を歩み続けます。
墨俣一夜城が位置するのは清流長良川と犀川の合流地点。
東海道と中山道を繋ぐ重要街道「美濃路」の宿場町として、墨俣宿は発展していきました。
高さのある天守閣からは、濃尾平野に広がる川の流れを遠くまで見渡すことができます。
犀川の堤防には桜が並び、春には満開の桜で彩られるとのこと。
また例年10月には「すのまた秀吉出世まつり」が開催され、武者行列などで賑わいます。
一夜城伝説はどこまで本当なのか
秀吉の凄さが凝縮された墨俣一夜城ですが、冷静に考えて一晩で城は作れるものでしょうか。
資料館の展示内容を含め、簡単に考察してみます。
なぜ一晩で作る必要があったのか
織田信長の美濃侵攻にあたって、足掛かりとして建てられた墨俣一夜城。
実は秀吉が築城する前に、2人の家臣が先立って挑戦、失敗しています。
最初に挑んだのは佐久間信盛ですが、斎藤家の美濃三人衆(稲葉良通、安藤守就、氏家直元)によって返り討ちに。
敵地の真ん中に城を築くのは容易ではなく、続く柴田勝家も敗走。
最後に挑んだのが秀吉でした。
秀吉は「敵に襲われる前に一瞬で城を築く」という作戦を立てます。
決行!一夜城作戦
城を築くためには大量の木材が必要です。
エイサエイサと悠長に運んでいては、その間に敵の攻撃を食らってしまいます。
そこで秀吉が利用したのが長良川。
材木を「いかだ」に組み立てて流し、朝になるまでに組み立ててしまいました。
現代でいうプレハブ構造の城郭は、当時は画期的なものでした。
敵である斎藤家をビビらせるには十分であり、墨俣は織田家の軍事拠点に。
織田信長は斎藤龍興を美濃から追放し、天下統一ののろしを上げたのです。
出世の神が宿るパワースポット
功績を信長に認められた秀吉は、後に徳川家康と並び三英傑と呼ばれます。
身分違いの「さる」だった秀吉は、戦国一の出世人となりました。
墨俣一夜城は秀吉をたたえ、いまでは出世の神が宿るパワースポットに。
人生の成功をおさめたい方は、ぜひともお参りしてみることをオススメします。
※墨俣一夜城にまつわる歴史には諸説あります。